Clásicos japoneses con furigana
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だらくろん(ぞくだらくろん)
堕落論・日本文化私観 他二十二篇
Lee 堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (だらくろん(ぞくだらくろん)) de Sakaguchi Ango (坂口 安吾) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 84.198 caracteres · 171 pantallas
もとより鑑賞に堪えん。第一奴めが何をやりおったにしたところで、そんなことは奴めの何物でもない。こう仰有るにきまっている。奴めが何物であるか、それは奴めの三文小説を読めば分る。教祖にかかっては三文文士の実相の如き手玉にとってチョイと投げすてられ、惨又惨たるものだ。
ところが三文文士の方では、女に惚れたり飲んだくれたり、専らその方に心掛けがこもっていて、死後の名声の如き、てんで問題にしていない。教祖の師匠筋に当っている、アンリベイル先生の余の文学は五十年後に理解せられるであろう、とんでもない、私は死後に愛読されたってそれは実にただタヨリない話にすぎないですよ、死ねば私は終る。私と共にわが文学も終る。なぜなら私が終るですから。私はそれだけなんだ。
生きてる奴は何をやりだすか分らんと仰有る。まったく分らないのだ。現在こうだから次にはこうやるだろうという必然の筋道は生きた人間にはない。死んだ人間だって生きてる時はそうだったのだ。人間に必然がない如く、歴史の必然などというものは、どこにもない。人間と歴史は同じものだ。ただ歴史はすでに終っており、歴史の中の人間はもはや何事を行うこともできないだけで、然し彼らがあらゆる可能性と偶然の中を縫っていたのは、彼らが人間であった限り、まちがいはない。