Classiques japonais avec furigana
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
Lisez 中世の文学伝統 (ちゅうせいのぶんがくでんとう) de 風巻 景次郎 (かざまきけいじろう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 115 977 caractères · 230 écrans
二条・京極の対立はすでにはじまったのであって、嫡流二条家の力によっても、為兼の持明院統の御代における存在を如何ともし得なかったのである。
次はまた持明院統の後伏見天皇であるが、わずか三年の御在位で、大覚寺の後二条天皇の御代となり、後宇多の院政となった。すると正安三年十一月二十三日に撰集の院宣が為世一人に下され、二年あまりして嘉元元年十二月十九日に奏覧を終えた。『新後撰和歌集』である。この年為兼はゆるされて佐渡から京に帰った。
徳治三年後二条天皇が崩御になり、持明院統の花園天皇が即位されて、伏見院が院政を摂られ、延慶と改元されると、また為世にかわって為兼の活躍のときが来た。ただ最初、延慶年間に撰集のお企てがあって、為兼が撰者になるはずのところ、二条為世の手が動いた。嫡家の家名と伝統とにものをいわせ、京極為兼の庶流であって流罪の人であることを強調して、勅撰集の撰者になることを圧えたのであって、これに対しては為兼が陳状を奉って反駁すると、為世はさらに陳状を奉った。両者あわせて『延慶両卿訴陳状』といい、有名なものである。しかし応長元年に伏見院から撰集の院宣が下り、為兼独力で撰んで、正和二年八月奏覧を経たのが『玉葉和歌集』