Classiques japonais avec furigana
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
Lisez 中世の文学伝統 (ちゅうせいのぶんがくでんとう) de 風巻 景次郎 (かざまきけいじろう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 115 977 caractères · 230 écrans
八
しかしまたかくの如く困難な時代には、上皇には帝王の抒情があらせられる。院が肩をならべる者のない王者の魂を以て、独りなされた抒情は、既に新古今調というべきものでない。それは万機を抜けて孤高の調であったということを申したかったのである。その一例が前にかかげた御製である。
八
ここにつづいて、源実朝に触れておこう。実朝は西行が世を去った翌々年、後鳥羽天皇の建久三年(一一九二)八月九日、鎌倉名越の浜御所に生れた。『新古今集』撰定の勅の下る足かけ十年前、後鳥羽院は十二歳の年上であらせられる。父は源頼朝、母は北条政子、幼名千幡。正治元年千幡八歳のとき、父が相模川の大橋の落成式に行って、馬から落ちたのがもとで急に薨去した。兄頼家が二代将軍となったが、建仁三年辞し、千幡は十二歳で将軍となり実朝と改めた。
兄頼家が辞めて、翌年修善寺で殺されるまで、なかなかの悶着があった。元来政子の父時政は平氏であって、頼朝のいる間はその器量に恐れ、これを立てていたが、頼朝が世を去るとやがて勢力の拡張にとりかかった。最初に肉親の孫頼家を将軍職から追って、殺させたのも時政の手であった。