Classiques japonais avec furigana
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しょうしょうしげもとのはは
少将滋幹の母
谷崎 潤一郎
Lisez 少将滋幹の母 (しょうしょうしげもとのはは) de 谷崎 潤一郎 (たにざきじゅんいちろう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 83 234 caractères · 160 écrans
その八
「すけまさ」と云うのは二男の佐理のことであるが、これはあの行成や道風と並び称せられた能書家の佐理とは違う。敦忠集に依ると、佐理の母は佐理を生んで死去したので、子は小母のところに預けられて、「あづま」と云う幼名で呼ばれていたが、あづまが二つになった時に敦忠がその子を見に行って、たいそう泣いて、下のような歌を詠んだ。―――
むつごともまだいひ出でゞ別れにし
人のかたみはあづまなりけり
此のあづまの佐理が後に出家をしたことは、前に記した通りである。
その八
平中、時平、及びその子孫たちの後日譚はあらまし以上の如くであるが、あの可哀そうな老大納言と、彼が夫人在原氏の腹に儲けた子の滋幹は、その後どうなったことであろうか。
国経には滋幹の外に三人の男子があって、尊卑分脈所載の順序に従えば、長男が滋幹、次男が世光、三男が忠幹、四男が保命となっている。此のうち、忠幹の母は在原氏ではなく、伊豫守未並と云う者の女子としてあって、此の後裔は後まで長くつゞいたらしいが、世光と保命には後がなく、且その母は誰であるとも記してない。しかし滋幹は、あの事件の時に五歳ぐらいであったとすれば、老大納言が七十二三歳頃の子でなければならないが、それ以後国経は八十一歳で死ぬ迄の間に、更に三人もの子を生ませたり、他の婦人と契ったりしたのであろうか。