Classiques japonais avec furigana
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しょうしょうしげもとのはは
少将滋幹の母
谷崎 潤一郎
Lisez 少将滋幹の母 (しょうしょうしげもとのはは) de 谷崎 潤一郎 (たにざきじゅんいちろう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 83 234 caractères · 160 écrans
宇多上皇は、上皇の法の弟子である浄蔵が左大臣の邸に於いて最後まで加持祈祷の勤めをせず、中途で退出したことを聞召されて大いに御気色を損ぜられたので、浄蔵は深く勅勘の身を慎み、三箇年の間横川の首楞厳院に籠居して修練苦行の日を送ったと云うが、世間一般の人々は、時平がそう云う死に方をしたことを当然のように考えて、あまり同情する者はなかった。而も報いは時平一人に止まらず、長く子孫にまで及んだのであって、彼の三人の子息のうち、長男の八条大将保忠は、承平六年七月十四日に四十七歳を以て歿し、三男の中納言敦忠、―――あの新夫人在原氏が生んだ晩年の子は、天慶六年三月七日に三十八歳を以て歿した。尤も保忠の歿年は四十七歳と云うのであるから、その頃として若死とは云えないかも知れないが、事実は菅公のたゝりを気に病む餘り病気に取り憑かれ、枕許に験者を招いて薬師経を読み上げさせていたところ、経の中に宮毘羅大将と云う文句があったのを、「汝を縊る」と聞き違えて悶絶し、それきりになってしまったと云うので、矢張尋常の死に方ではなかった。そのほか、宇多天皇の女御に上って京極御息所と云われた女子があったが、これも短命を以て終り、他の一人の女子仁善子と醍醐天皇の皇太子保明親王との間に生れた康頼王は、時平の外孫に当り、保明親王の薨去後に皇太子に立った