일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

ja-reading.com

후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.

ちゅうせいのぶんがくでんとう

中世の文学伝統

風巻 景次郎

風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면

아오조라 문고

であった。その前の年正和元年に、為兼はついに正二位大納言にいたった。『玉葉集』に対しては、二条派では『歌苑連署事書』のようなものを作って批難している。

ところがこの『玉葉集』の奏覧された正和二年に、伏見上皇が御出家あったので、為兼はお跡をしたって同じく出家した。翌々年正和四年には春日神社へ願立のため奈良へ赴いたが、勿論これは再び持明院統のために画策するところがあった故で、その冬捕縛され、翌五年二月土佐へ流された。六十三歳である。その後は都から影を絶ってしまって、消息は不明である。元弘二年、後醍醐天皇の隠岐遷幸の年、七十九歳をもって世を去った。忠兼・為仲などいう子もあったが、京極家の歌壇的勢力は為兼一代で終ったのである。

為兼が土佐へ移ってから中一年措いて、文保二年二月二十六日に花園天皇御譲位、大覚寺統の後醍醐天皇が即位されると、再び為世の時代がめぐってきた。しかも今度は為兼が失脚したので為世の独擅場である。すぐその年、後宇多院から院宣が下り、中一年措いて元応二年に奏覧に供した。『続千載和歌集』である。二代の撰者たり得た得意は思うべきである。

この御代はなかなか文事は盛大で、元亨二年に『亀山殿千首』