후리가나로 읽는 일본 고전
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면
隆信と寂蓮とはともに若くから歌がすぐれていて親しかったが、隆信は歌よりも絵には一層すぐれていた。国宝になっている神護寺蔵の重盛と頼朝との画像は隆信の筆といわれて、すでに知っておられる諸君も多いであろうが、日本の肖像画中での傑作である。『藤原隆信朝臣集』がある。定家ともよく行き来した。しかしその子の信実は、鎌倉第一の画家といわれ、後鳥羽院が隠岐へ遷幸の際、特にお姿を描かしめられたのはこの信実であった。歌の方でも出色の歌人だった。定家の近親はみな歌よみであった。父俊成のところへは、俊恵や西行や源三位頼政が出入した。その中で定家は早くから文学の才をあらわした。今残っている最も早い歌は治承二年十七歳のとき、上賀茂神社の歌合でよんだ三首である。定家十四のとき俊成は皇太后宮大夫を辞して、定家に侍従を申し乞い、翌年六十三で出家した。
二十歳ではじめて百首歌を詠じたが、二十一で更に『堀河百首』の題で百首を詠んだ。このとき右大臣兼実、俊恵、寂蓮、隆信の絶讃を博した。『千載集』には八首採られた。歌はめきめきと上達しはじめ、晩年の西行もその前途を期待したし、家隆のようなよい友達もできた。