일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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おうがいのけんこうとし

耄碌寸前

森 於菟

森 於菟의 耄碌寸前(おうがいのけんこうとし)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 43,925자 · 89화면

아오조라 문고

その病については私は幼時祖母から肋膜炎ときかされたが、実は肺結核であったことを宮下氏から直接にきいた。一人残った娘美代子は幼時から心臓が弱いという顔色のわるい子であったが、二十二歳に肺結核で死んだ。赤松則良翁は八十五歳の高齢で脳溢血がもとでなくなったが、その夫人はそれより早く六十余歳で脳膜炎のような症状で世を去った。なお私の生母の妹である多数の女子の中で、両三名は呼吸器系疾患でしばらく療養していたと記憶する。私の生母の死については明治三十三年二月四日九州小倉市の父のもとに着いた賀古鶴所の手紙に、その死亡広告の切抜が入れてあった由で、「小倉日記」のこの条には「嗚呼是れ我が旧妻なり。於菟の母なり。赤松登志子は眉目妍好ならずと雖、色白く丈高き女子なりき。和漢文を読むことを解し、その漢籍の如きは未見の白文を誦すること流るる如くなりき。同棲一年の後、故ありて離別す。」と記されてある。

父は満十年の独身生活の後に明治三十五年一月四日岡田和一郎博士の媒酌で判事荒木博臣の長女茂子を娶った。この独身生活の間の父の身辺の婦人関係について私は別に書いたが、父の二度目の結婚がかくも遅れたのは、好配を得る運に恵まれなかった故もあろうが、責任ある結婚をするには己れの病気の根治をたしかめての上という気持もあって独身時代が延びたのでは