후리가나로 읽는 일본 고전
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ファラデーのでん
ファラデーの伝
愛知 敬一
愛知 敬一의 ファラデーの伝(ファラデーのでん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 77,305자 · 153화면
トーマス・ヤング
間、ローヤル・ソサイテーの会長になった。しかし、健康が良くないので、再び大陸に旅行したが夫人は同行を承知しなかった。イタリアのローマで一度危篤に陥ったが、ゼネバまで帰ったとき、前に同僚であったヤングの死去の報を聞いたが、その夜自分も中風で死んだ。一八二九年五月二十九日である。享年五十一。
詩人カレッヂが評していうのに、「デビーは一流の化学者にならなくとも、一流の詩人になったであろう」と。旅行中に詩も作ったし、「旅中の慰め」という散文もある。
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トーマス・ヤングは一七七三年七月十三日生れで、十四、五歳のときには、既にオランダ、ギリシャ、フランス、イタリア、ヘブライ、ペルシア、アラビア語を読んだ。ドイツのゲッチンゲンや、英国のキャンブリッジで医学を修めた。一八〇〇年には光の波動説を発表し、翌一八〇一年からルムフォード伯に招かれて王立協会に来たが、二年もしないでやめた。理由は、医学の方面の勉強が遅れるからというので、一八〇三年医学博士 M.B. になり、後またセント・ジョージ病院の医師となった。王立協会におった時期は短かかったが、その間にやった講義録や発表した論文は、いずれも有名なものである。