후리가나로 읽는 일본 고전
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면
和歌所の領として、播磨細川庄と近江小野庄とがあったが、恐らくは承久乱後定家が領有してその地頭職となり、為家が相続した。阿仏はよほど為家を動かしたと見えて、為家は細川庄を為相に伝えるように遺言して死んだのである。ところが為氏は両庄とも横領して譲らないので、為相の母阿仏は鎌倉まで下って訴えた。『十六夜日記』『夜の鶴』『庭の訓』などがこのとき書かれたことは人の知る通りである。
長男為氏と次男為教はあまり仲がよくなくて、為教はかえって阿仏尼の肩を持ったりしたので、ついに三家分立の形になった。それぞれ二条・京極・冷泉という。さて阿仏の訴訟は容易に決まらない中、阿仏は鎌倉で歿し、引きつづいて弘安九年為氏六十五で薨ずると、二条家では嫡子為世がつづいて争い、漸く二十七年たって正和二年、冷泉為相の勝訴となった。はじめからいうと三十九年目に当るのである。為相はその後正二位権中納言に昇り、嘉暦三年六十六で薨じた。家集は『藤谷和歌集』という。後妻腹で、為氏・為教よりはるか幼く、為世・為兼よりも若い有様なので、為世・為兼・為相と同時代に並んでいるのである。二条・京極両家は為氏・為教兄弟のときから悪かったが、為世・為兼従兄弟になってもますます対立は厳しくなった。