후리가나로 읽는 일본 고전
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면
定家の二十四、五から三十八、九までの歌というものは、大部分慈円との競作や、兼実の女宜秋門院が後鳥羽天皇の女御として入内のときの屏風の歌や、良経邸での歌会の歌やばかりで占められているといってもよい位である。
また内大臣実宗の女を妻とした。これは後の西園寺太政大臣公経の同胞であった。そこで定家は歌ばかりでなく、九条家や西園寺家にたよって立身出世する野心を持った。俊成はその方はすでに無能力者なので、彼は借りられるだけ古い日記類を借り写して、独力で有職の学問をした。『小右記』を読みつづけて、小野宮右大臣実資を夢に見たとか、『台記』を写したとかいう位であるから、その方も相当本格的な勉強だったといえるし、職務にも精励だった。けれども出世は遅々としていた。官は十四でなった侍従が、二十八で左近権少将になったきり、四十になってもそのままであった。位は三十四で従四位上になったままである。この昇進の思わしからぬには原因があった。九条兼実は文治二年から建久七年まで摂政関白であり、良経もその間に内大臣になり、慈円も天台座主に上ったが、兼実は剛毅で、後白河院の丹後局という女傑の反感を招いたため、ことごとに意見が封じられ、関白を止めたときは慈円も天台座主を退くという形になった。