일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

和辻 哲郎의 日本精神史研究(にほんせいしんしけんきゅう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 208,277자 · 415화면

아오조라 문고

この意味で道元は、「煩悩即菩提」の思想のうちに生活と理想との或る調和を造り出していた日本の仏教へ、再びあの原本的な「あれかこれか」を力強く引き戻したのである。

が、道元は戒律をそのままに一切の人に課しようとするのではない。仏の模倣者となったものは、すなわち僧は、仏家の風として戒律を守らなくてはならぬ。しかし俗人にとっては、それは必ずしも必要でない。仏は「一切有命の者故らに殺すことを得ざれ」という。「汝等沙門当に愛欲を捨つべし」という。しかし俗人が魚鳥を殺し愛欲に生くることは何の罪とも認められない。このことは戒律から「万人の踏むべき道」としての普遍的な意味を奪う。とすれば、それは道徳としての権威を失いはせぬか。この疑問は僧尼の心にも起こった。ある時一人の比丘尼が道元に問うて言う――世間の女房などにも仏法を学んでいるものがある。比丘尼に「少々の不可」があっても、仏法にかなわぬはずはない。いかん。道元は答えた――在家の女人は愛欲に生きつつ仏法を学んで、なお得ることがあるかも知れない(「たゞこれ志のありなしによるべし。身の在家出家にはかゝはらじ」)。しかし出家の女人に出家の心がなければ、彼女は絶対に得ることができまい。