일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

ja-reading.com

후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.

にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

和辻 哲郎의 日本精神史研究(にほんせいしんしけんきゅう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 208,277자 · 415화면

아오조라 문고

その仏性の意義は、無仏性というときにも失われるのではない。従って無仏性の語は、「衆生の内に仏性なし」というごとき意に解されてはならない。悉有仏性の仏性は、無仏性の仏性である。無仏性は無悉有である。無は悉有である。「悉有の有、なんぞ無無(四祖の無と五祖の無と)の無に嗣法せざらん。」悉有が絶対的であるごとく、この無もまた絶対的であって、両者別物ではない。

もとより道元の引く諸祖の問答が、道元の解する意味において行なわれたかどうかは別問題である。六祖が黄梅山に参したとき、

五祖とふ、なんぢいづれのところよりかきたれる。六祖いはく、嶺南人なり。

五祖いはく、きたりてなにごとをかもとむる。六祖いはく、作仏をもとむ。

五祖いはく、嶺南人無仏性、いかにしてか作仏せん。六祖いはく、人有南北なりとも、仏性無南北なり。

という問答があった。これを、

「どこから来た。」「嶺南人だ。」「何がほしい。」「解脱したい。」「嶺南人には仏性(解脱の素質)がない、どうして解脱するか。」「人間には南北の差別があっても、仏性には南北の差別はない。」

のごとき意味に解してならないわけはない。また実際にはこういう意味で行なわれた問答であるかも知れない。