후리가나로 읽는 일본 고전
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おけはざまのかっせん
桶狭間合戦
菊池 寛
菊池 寛의 桶狭間合戦(おけはざまのかっせん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 12,784자 · 26화면
こうして西上の志あった者に、武田信玄があり上杉謙信があった。今川義元も亦、三大国を擁して西上の志なかるべからんやである。
義元、先ず後顧の憂を絶つ為に、自らの娘を武田晴信の子義信に嫁せしめた。北条氏とも和した。さて、いよいよ西上の段取であるが、三河の西辺の諸豪族、特に尾張の信長を破らなければ、京に至る事は出来ない。そこで、義元は当時駿河の国府に居らせた松平竹千代に、その先鋒を命じた。竹千代即ち、後年の徳川家康である。竹千代不遇であって、始めは、渥美郡牟呂村千石の地しか与えられず、家臣を充分に養う事にさえ苦しんだ。鳥居伊賀守忠吉は自らの財を多く松平家の為に費したとさえ伝えられている。後年三河武士と称された家臣達は何事をも忍んで機の至るを待って居た。義元の命のままに、西上の前軍を承って多くの功績を示したが、義元西上の志が粉砕された事によって、竹千代(弘治二年末義元の義弟、関口親長の女をめとる、後元康と称し更に家康と改む)の運命が開れようとは当人も想いつかなかったであろう。
松平元康が、どんなに優秀な前軍を勤めたかを簡単に示すならば、弘治三年四月には刈屋を攻め、七月大府に向い、翌永禄元年二月には、義元に叛き信長に通じた寺部城主鈴木重教を攻め、同じく四月には兵糧を大高城に入れた。