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そのきどをとおって
その木戸を通って
山本 周五郎
「オール読物」文藝春秋新社、1959(昭和34)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,448 字 · 44 页
正四郎の父は岩井勘解由といって、信濃守景之の側用人であるが、吉塚は先代から岩井家に仕えてい、正四郎が国許へ来るに当り、父が選んで付けてよこした。したがって、江戸における正四郎の行状をよく知っているから、女が訪ねて来たと聞いて驚いたのも、むりではなかったかもしれない。
「挨拶に出てみますとまったく見覚えのない方で、主人はお役目のため両三日城中から戻らぬ、と私は申しました」と吉塚は続けた、「ことづけがあったら申伝えましょう、いずれのどなたさまですかと訊きましたが、黙って立っているだけで返辞をなさいません」
娘の髪かたちやみなりは武家ふうであるが、見ると着物は泥だらけで、ところどころかぎ裂きができているし、髪の毛も乱れ、顔や手足にもかわいた泥が付いてい、履物は藁草履であった。
「なにかわけがあって来たのか、住居はどこかと繰り返し訊きましたが、ただ平松正四郎さまにお会いしたいと云うばかりで、そのうちにふらふらとそこへ倒れてしまいました」
「玄関でか」
「玄関でございます」と吉塚が云った。
やむを得ないので座敷へ抱きあげ、妻のむらに介抱をさせた。飢と疲労で倒れたらしい、気がつくのを待って、風呂へ入れてやり、むらの着物を着せ、それから食事はと訊くと、黙って頷いたようすが、いじらしいほどひもじさを示していた。