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ちくしょうだに
ちくしょう谷
山本 周五郎
「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,788 字 · 138 页
と隼人は云った、「明日は早くでかけるから、もう寝るほうがいいぞ」
隼人は流人村へゆき、正内老人を訪ねた。老人は「ここでは仏事などはしないから」と云ったが、とにかく案内してくれた。老人の云ったとおり、ぶろうの家では通夜もせずに寝てしまったらしく、老人が呼んでも起きるけしきはなかった。隼人は老人に礼を云って、いっしょにそこを去りながら、ここでは仏事などはしない、という言葉にひどくまいってしまった。
――いったいかれらは、人間の生死をどう考えているのだろう。
正内老人はいつか、ここがちくしょう谷と呼ばれていることを忘れないでくれ、と云った。しかし、肉親の死をとぶらうことさえしないとはどういうことか。そんなにまで人間らしさを失うということがあり得るだろうか。隼人は毒を舐めでもしたような、悪心を感じながらそう思った。
「かけはしはいかがでした」と正内老人が訊いた、「架け直しができそうですか」
「下見をして来ましたがやれそうです」と隼人が答えた、「倉が焼けたので、食糧の補給をしなければなりませんから、明日いってやるつもりです」
「お役に立てるといいのですが」と老人は低い声で云った、「ここの人間は御迷惑をかけるばかりで、まことにお詫びの申しあげようもございません」