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ちくしょうだに

ちくしょう谷

山本 周五郎

「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,788 字 · 138 页

青空文庫

七

この記事は秦武右衛門という、そのときの木戸の番頭が書いたもので、秦はすぐに行者を捜索させたが、部落にはもちろんいなかったし、どっちへたち去ったか、足跡もみつけられなかった。これまでに、流人村へ外部から人のはいったためしはないし、そのときは特にひどい風雪が続いていて、そうでなくても難所の多い険道を、そんな行者などがどうして登って来たか、またどこからどのようにして去っていったか、すべてが謎のようで、どう解釈していいかまったくわからなかった。

「この話は聞いたことがある」読み終ってから隼人は思いだした、「そうだ、正内老人が話していたんだ、行者の狐騒動で住民の半分が死んだ、それから密通の禁もゆるやかになった、と云っていたようだ」

そして隼人は初めて、いったい正内老人というのはどういう人間だろうか、と不審をもつようになった。あやという娘に読み書きを教えている、という口ぶりや、ぜんたいの人柄に一種の風格が感じられた。――彼は改めて部落の人別帳をしらべてみ、どこにも正内老人の名が記してないことを慥かめた。

七

朝田隼人が二度めに部落へいったのは、四月十八日のことであるが、それまでに彼は、木戸の番士と部落の女たちとの、不快な関係について二三の話を聞き、自分でもいちどその事実を見た。