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たんげさぜん

丹下左膳

林 不忘

01 乾雲坤竜の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 340,187 字 · 666 页

青空文庫

与吉のはなしの中途で立ちあがって、くらいなかに帯を締めなおしていた櫛まきのお藤が、このとき低い声で、うめくようにいったのだった。

「与の公、したくをおし! サ、長いわらじをはこうよ。だが、その前に……」

あとは耳打ち――与吉はただ、眼を見はって、つづけざまにうなずいていた。

外桜田……南町奉行大岡越前守忠相の役宅。

まだ宵のくちだった。

奥の一間に、夕食ののちのひと刻を、腰元のささげてくる茶に咽喉をうるおしつつ、何思うともなく、庭前のうす暗闇に散りかかる牡丹の花を眺めている忠相を、うら木戸の方に当たってわき起こったあわただしいののしり声が、ちょうど静かな水面に一つの石の投ぜられたように、突如として驚かしたのだった。

何ごとであろう? また、黒犬めが悪戯でもしおったのではないか――。

と、忠相が聞き耳を立てたとき、用人の伊吹大作が、ことごとく恐縮して敷居ぎわにかしこまった。

「なんじゃナ、大作」

忠相は、にこやかな顔を向けた。

「は。お耳に入りまして恐れ入りまする。実はソノ、ただいま、なんでございます、気のふれた女がひとりお裏門へさしかかりまして……」