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ふたつのみち

二つの途

豊島 与志雄

「新小説」1920(大正9)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 51,102 字 · 104 页

青空文庫

幾度も同じことをくり返しているうちに、彼の精神は疲労しつつ興奮していった。遂には、疲労の余り眠りに入り、興奮の余り眼覚めていた。夢とも現ともつかない境に長い間彷徨した。

訳の分らない擾乱から彼がほっと我に返った時、室の中には信子が一人起きていた。いつのまにか看護婦と交代したものらしい。彼女は室の隅に眼を定めて、魂の脱殼のようにじっとしていた。毛の逆立った眉が真直に刷かれて、其の下から黒い眼が覗いていた。窶れた頬に痙攣的な微笑のようなものを引きつらしていた。それらの顔立の上に乱れた束髪が大きな影を投げかけていた。……彼はその姿を見つめた。恐ろしくなった。「おい。」と呼んでみた。声は出なかった。再び「おい。」と呼んでみた。彼女は彼の方に顔を向けた。夢の中で見た女だという感じを彼は受けた。

「信子!」と彼は云った。取り失ったものに対する呼びかけの言葉だった。

彼女は寄って来た。

「僕の手を握っていてくれ。」と彼は云った。

その言葉は殆んど聞き取れなかった。彼女は彼の眼を見返した。そして意味を了解した。彼の手を握ってやった。

彼は彼女の冷たい掌に自分の手を与えながら、一種の戦慄を感じた。