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ふたつのみち

二つの途

豊島 与志雄

「新小説」1920(大正9)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 51,102 字 · 104 页

青空文庫

自分の声に聞き惚れていると、自然に涙が出て来た。涙ぐみながら、幼い唱歌を歌いながら、足をやけにばたばた動かしていた。

木下が其処に姿を現わした時、信子ははっと息をつめた。窓縁につかまったまま身体が氷のようになった。

「何をしてるんです、唱歌なんか歌って。」と木下は云った。

信子は黙っていた。

「岡部君がよくなってゆくのが、そんなに嬉しいんですか。先日までは……。」

木下は言葉を途切らした、そして眼を見張った。

「信子さん、あなたは酒を飲みましたね。」

二人は互に食い入るように眼と眼を見合った。木下は一歩進んだ。信子はつと身を引いて、唇を少し歪めながら天井を仰いだ。痩せた襟筋に小さな喉仏が見えた。

「ええ私酔ってますわ。」と彼女は云った。

木下は陰惨な瞬きをした。が俄に笑い出した。

「ははは、カフェーのお信さんに逆戻りですか。」

「ええそうかも知れませんわ。」

「そしてマダム岡部はどうしました?」

信子は急に振り向いた。顔色を変えていた。

「何を仰言るのです?」と彼女は云った、「失礼な!」

その最後の一句が何とも云えない調子外れの響きを与えた。今までの気分が何処かへ吹き飛ばされてしまった。