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びぜんめいきゅうでん

備前名弓伝

山本 周五郎

「講談雑誌」博文館、1946(昭和21)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 24,649 字 · 50 页

青空文庫

光政も今まで全部の椀に雁がゆきわたるとは思っていなかった。けれども三之丞の言葉を聞いてすぐ気付いたことは、――雁の吸物をさげると云う以上は、雁の吸物をさげるがよいので、ゆきわたらぬ物を名前だけそれにして、実は中身のないものをさげるのは間違いである。雁の吸物と云ってもまた牛蒡だろう、などという気持を起こさせることは、これを大きくすると、一つの藩の政治の信不信にも及ぼすことだ。そういう点であった。三之丞の顔つきは明らかにそういう意味を持っていたのである。これが三之丞の見出されるきっかけとなり、やがて「御秘蔵人」と呼ばれるほどのお気に入りになったのだが、この初めの一言で三之丞の心底を察するところに、光政の人柄の大きさと深さがあったのである。光政は生涯新太郎という幼な名で通した、池田新太郎少将光政、生れつき名君の質の高かった人であるが、ことに善かれ悪かれ、家臣の諫言は必ず聴き取る、それが国家を治める者のつとめだと信じていたのである。こういう気質だったから、三之丞の一言をもよく理解したのに違いない。しかしその時はそれだけで、いつか三之丞のことは忘れるともなく忘れていたのであった。