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こくこく
刻々
宮本 百合子
「中央公論」1951(昭和26)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,401 字 · 73 页
「ありがとう、すまなかったわね」
「親なんてばかなものさ」
「いいわよ、いいわよ。今のような時勢にはいろいろのことがあるさ」
自分は母親の手をとり、指環がまがっているのを見て、それを直してやった。二階の窓からは雨にぬれた銀杏樹の並木、いろんな傘をさした人の往来、前の電気屋のショーウィンドに円いオレンジ色のシェードが飾ってあるの等、活々と一種の物珍らしい美しさで暗い、臭いところから出て来た目に映った。
やがて、母親が室の外をのぞくようにして、
「さっきの人、どこにいるかい」
と小声で訊いた。
「そこにいるわ」
単衣羽織を着た帯の前のところで母親はそっと手の先だけを動かし、おいでおいでをした。自分は、膝頭で、そばへよって行きながら、はじめ体が熱くなり、段々顔まで赤くなるのを感じた。到頭母は、誰かの、待ちに待った外からのことづけを持って、わざわざこんな日に面会に来てくれたのか。――自分はぴったり母によりそい、羽織の衿を直すようにしながら囁いた。
「何なの?」
「お前」
私の顔を見上げ、
「どウして」
と体を前へ動かすほど力を入れ、
「云ってしまわないんだよ!」
びっくりして、自分は腰をおとし母親の白い顔を正面から見直した。