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ふるいど
古井戸
豊島 与志雄
「中央公論」1925(大正14)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,433 字 · 43 页
」
呼びかけられて彼は顔を挙げた。松木が震える手に厚紙を持って、彼につきつけていた。
「光子は大丈夫です。よくなったら、あなたがどこかへ転地にでもお連れなすって下さい。私とはどうも、あなたも光子も性分が合わないようです。これをあなたへお預けしておきますから……。」
松木の顔は、醜くどす黒く艶が失せて、眼ばかりぎょろりと光っていた。差出されたのは郵便貯金通帳で、光子の名前で千円近くになっていた。
彼は喉がつまって言葉が出なかった。振向くと、光子はきょとんとした眼付で、不思議そうに二人の様子を見ていた。
彼は坐に堪らなくなって、貯金通帳を松木に投げつけながら、庭に出ていった。泣きたいのか笑いたいのか分らない、もやもやっとした茫とした気持で、気が遠くなりそうだった。井戸のところへ行って、水を汲み上げて、頭にぶっかけてやった。