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めいじんじごく

名人地獄

国枝 史郎

「サンデー毎日」1925(大正14)年7月5日~10月25日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,286 字 · 301 页

青空文庫

で、誰か追分宿あたりで、甚三のうたう追分を聞き、さらに大江戸を流して歩く、甚内の追分を耳にしたとしたら、その差別に苦しんで、恐らくこういうに違いない。

「いやいやあれは甚三の唄だ。もし甚三が死んでいるとすれば、甚三その人の亡魂の唄だ」

とまれ甚内は追分を唄って、江戸市中をさまよった。しかし敵の手がかりはない。そこでまた彼は考えた。

「油屋お北は知っている。だが肝腎の富士甚内を、俺は一度も見たことがない。彼奴について聞き知ってることは、非常な美男だということと、着物につけた定紋が、剣酸漿だということだけだ。これではよしや逢ったところで、彼奴が紋服を着ていない限りは、敵だと知ることが出来ないだろう。これはどうも困ったことだ」

これは実際彼にとって、何よりも辛い事柄であった。しかしとうとう考えついた。

「うん、そうだ、いいことがある。唖者ではあるが、妹のお霜は、富士甚内を見知っている筈だ。妹を江戸へ連れて来て、一緒に市中を廻ったら、よい手引きになろうもしれぬ」

復讐の念いよいよ堅し

そこで周作に暇を乞い、故郷の追分へ帰ることにした。

この頃お霜は油屋にいた。