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めいじんじごく

名人地獄

国枝 史郎

「サンデー毎日」1925(大正14)年7月5日~10月25日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,286 字 · 301 页

青空文庫

「あっ」と甚内は身を締めた。この堅陣破ることは出来ぬ。ジリ、ジリ、ジリと後退り、またもやグルリと身を翻えすと、窮鼠かえって猫を噛む。破れかぶれに旅人眼掛け、富士甚内は躍り掛かって行った。

「馬鹿め!」と訛ある上州弁、旅人は初めて一喝したが、まず菅笠を背後へ刎ね、道中差を引き抜いた。構えは真っ向大上段、足を左右へ踏ん張ったものである。「あっ」とまたもや甚内は、声を上げざるを得なかった。日本に流派は数あるが、足を前後に開かずに、左右へ踏ん張るというような、そんな構えのある筈がない。

今は進みも引きもならぬ。タラタラと額から汗を落とし、甚内は総身を強ばらせた。

「よしこうなれば相討ちだ。相手を斃しておれも死ぬ。卑怯ながら腹を突こう」外れっこのない相手の腹。突嗟に思案した甚内が、下段に刀を構えたまま、体当りの心組み、ドンとばかりに飛び込んだとたん、「ガーッ」という恐ろしい真の気合いが、耳の側で鳴り渡った。武士が背後からかけたのであった。甚内の意気はくじかれたが、同時に活路が発見った。張り詰めた気の弛みから機智がピカリと閃めいたのであった。彼は「えい!」と一声叫ぶと、パッと右手へ身を逸したが、そこは芒の原であった。