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しおばな
塩花
豊島 与志雄
「世界」1946(昭和21)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,421 字 · 25 页
けれど、彼女は彼に対して、つめたくはあるがやさしい笑顔を見せるようになった。その笑顔と、美しい指と、瞬間的な不思議な表情とは、しばしば彼の頭に蘇ってき、やがては胸の奥に頻繁に蘇ってきた。そこで彼は自分は恋をしているのだと自認した。
この恋は至って清らかなものである筈だった。彼女の指も、不思議な表情も、冷かなほどの清い美しさを持っていたし、その笑顔に妙なつめたさがあるのも、清いからに外ならないと彼は思った。そして、恋人の清い息吹きにふさわしいだけの清さに、自分の心身を維持してゆかねばならぬと、彼は考えた。
心の清らかさについては、彼は自信があった。身体の清らかさについても、今や自信が持てた。
手の爪ももうみがきあげられた。
背広服は少し古いが、純毛のもので、丹念にブラシがかけられていた。腕時計の腕輪は、革では汗や埃がしみるので、クロームの鎖に代えられていた。上衣の腕ポケットにわざと無雑作らしくつきこんだハンカチは、縁に空色の縫い取りがしてあった。少し洗いざらしで地質が損じてるのは残念だったが、綺麗でさえあればよく、実際に使用することはないものだった。