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おおとりものせんにんつぼ

大捕物仙人壺

国枝 史郎

「太陽」博文館、1925(大正14)年7月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 47,606 字 · 97 页

青空文庫

伊太郎を家へ送り込むと、紫錦は舟を漕ぎ返した。と、その時雨と一緒に嵐が颯と吹いてきた。周囲四里の小湖ではあったが、浪が立てば随分危険で、時々漁舟を覆えした。

「これは困った」と驚きながら、紫錦は懸命に櫓を漕いだ。

次第に嵐は吹き募り、それに連れて浪が高まり、間もなく櫓櫂が役に立たなくなった。

「どうしよう」

と紫錦は周章てながらなおしばらくは櫓を漕いだ。

しかし益々風雨は募り、全くシケの光景となり、漕いでも無駄と知った時、紫錦は舟底へ身を横仆えた。

「どうともなれ。勝手にしやアがれ」

そこは小屋者の猛烈性で、こんな事を思いながら、案外暢気に寝そべっていた。

「ご大家様のお坊ちゃん、今こそ妾に夢中になって、夫婦になろうの駆落しようのと、血道をあげているけれど、その中きっと厭になるよ。そうしたら捨てるに違いない。捨てられたら元々通り小屋者の身分へ帰らなけりゃならない。いつ迄も小屋者でいるくらいなら、死んだ方が増じゃないか」

雨と泡沫で彼女の体は、漬けたように濡れてしまった。

「おや」

と彼女は顔を上げた。空が俄かに赤くなったからで、見れば遙か町の一点が、焔を上げて燃えていた。