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たじゅうとそのいぬ

太十と其犬

長塚 節

「ホトトギス」1910(明治43)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,769 字 · 32 页

青空文庫

壻の文造と畑へ出ることもあった。秋蕎麦の畑には唯一杯に花が白かった。赤は地鼠の通った穴を探し当てたものか蕎麦の中を駈け歩いた。赤の体が触れて蕎麦の花が先へ先へと動いた。暫く経つと赤はすっと後足で蕎麦の花の中から立つ。そうして文造を見つけていきなりばらばらと駈けて来る。鼻先は土で汚れて居る。赤は恐ろしい威勢のいい犬であった。そうして十分に成長した。夜はよく足音を聞きつけて吠えた。昼間でも彼の目には胡乱なものは屹度吠えられた。次の秋のマチが来た。太十は例の如く瞽女の同勢を連れ込んだ。赤は異様な一群を見て忽ちに吠え迫った。瞽女は滑稽な程慌てた。太十は何ということはなく笑った。そうして赤を叱った。赤は甘えて太十に飛びついた。更に又瞽女の一人にも飛びついた。瞽女はきゃっと驚いた。お石は自分の犬がこんなに威勢よく大きくなったのを知って悦んだ。お石は赤を抱こうとして其手を長い舌でぺろぺろと嘗められた。威勢のいい赤は其から幾年間を太十の手に愛育された。太十とお石との情交は移らなかった。お石は顔に小さい皺が見えて来てもう遠から白粉は塗られなかった。盲目の衰え易い盛りの時期は過ぎ去って居るのである。