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めおとのあさ

夫婦の朝

山本 周五郎

「婦人倶楽部」大日本雄辯會講談社、1941(昭和16)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,008 字 · 22 页

青空文庫

五

お由美は慄然と身を震わした。相手の態度の落着いた、何処までも静かにじわじわと詰寄って来る調子は、まるで眼に見えぬ繩で十重二十重にお由美を縛り上げるようなものであった。

「分りました」お由美は辛うじて答えた。

「明朝十時までに参ります」

「五十両ですよ」

相手の声も夢心地に聞いて、お由美はよろめくように其処を立出でた。

沼部新五郎。彼は秋田藩士で二百石の馬廻りだった、……お由美とは兄の友達として幼い頃から親しく、一時はまるで家族のように往来したこともある。

兄と弟のあいだに一人の女子として愛されて育ったお由美は、美貌で才気のある新五郎にいつか乙女心のほのかな憧憬を感じ、別に重大なこととも気付かず、その年頃にありがちな物語でも読むような綺麗な気持で、幼い恋心を燃えたたせたこともあった。

五

八橋の丘の青草に埋れながら、雄物川の流を見て半日一緒に暮らしたこともある。……また文を求められて、古今集などから歌を索いて書送ったこともあった。

然し、それは何処までも乙女心の夢のような憧憬に過ぎない、いちばん身近な者に対象を置いて、まだ見ぬ恋の手習いをするというほどのものに過ぎなかった。