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しょうしょうしげもとのはは

少将滋幹の母

谷崎 潤一郎

「毎日新聞」毎日新聞社、1949(昭和24)年11月16日~1950(昭和25)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 83,234 字 · 160 页

青空文庫

平中は罪を重ねると云っても、たゞ内々で大納言の妻である人と契り、とき/″\数時間逢っていたに過ぎないのであるが、時平は大納言に僅かばかりの恩を売り、あの老人を前後不覚に酔わしておいて、彼が命よりも大切にしているものを、あっさりと自分の所有に移した。平中の場合と時平の場合と、老人に取って孰方が餘計残酷であるかは言を俟たない。平中は今、自分の過去の恋人がたま/\彼の手の届かない貴人の許へ拉し去られたと云うだけのことに、遣る方ない忿懣を感じているのであるが、老大納言の災厄はなか/\そんな生やさしいものではない。而もあの老人がそう云う災厄を蒙むるに至ったのは、平中が時平に詰まらぬおしゃべりをしたからなのである。平中は、老人を不幸に陥れた元兇は自分であり、老人は何もそのことを知らずにいるのだと思うと、何と詫び言を云ってよいか分らないのであった。

だが人間は身勝手なもので、平中にして見れば、自分よりは老人の方が比較にならぬほど気の毒なことは分っていながら、馬鹿を見たのは誰よりも自分であると云う気がして、ひどく忌ま/\しいのであった。それと云うのが、何分今云ったような事情もあって疎遠になったのであるから、もはやその人に興味を失ったとは云っても、実のところはまだ心底から忘れ去っていたのではなかった。