轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しょうしょうしげもとのはは
少将滋幹の母
谷崎 潤一郎
「毎日新聞」毎日新聞社、1949(昭和24)年11月16日~1950(昭和25)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 83,234 字 · 160 页
その十一
こと、等々には心づいていたのであった。
その十一
筆者は、老大納言がどう云う精神状態に於いて死んだかについて、せめてもう少し委しい資料を得たいのであるが、何分にも滋幹の記録にはこれ以上のことを見出だせないので、たゞ、前後の事情から判断を下し、最後には遂に救われなかった人として、―――いとしい人の美しい幻影に打ち敗かされ、永劫の迷いを抱きつゝ死んで行ったのであろうと、考えるより外はない。蓋し此のことは、老大納言その人に取っては傷ましい結末であったけれども、滋幹に取っては、父が母の美しさを冒涜せずに死んでくれたことになるので、何物にもまさる喜びであったかと推量される。
かくて、老大納言卒去の翌年に左大臣時平が死に、それから約四十年の間に時平の一族が次々に滅んだことは既に記した通りであるが、天子は醍醐、朱雀を経て村上となり、世の中は藤原氏や菅原氏の栄枯盛衰の外にも、いろ/\な有為転変があった。その間滋幹は、何処でどう云う風にして人となり、少将の位にまで昇進したのであるか、日記は母のことを語るに忙しくて、自分のことは閑却されているのであるが、記事の様子から想像すると、父の死の直後何年間かは、乳人の許に引き取られて養育されていたのであろう。