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あやしのやかた

怪しの館 短編

国枝 史郎

国枝史郎『怪しの館 短編』。同一底本的分册已合并为一书。收入:怪しの館、一枚絵の女、犬神娘、開運の鼓、猿ヶ京片耳伝説、日置流系図、北斎と幽霊。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 81,915 字 · 165 页

青空文庫

猿ヶ京片耳伝説

痛む耳

「耳が痛んでなりませぬ」

と女は云って、掌で左の耳を抑えた。

年増ではあるが美しいその武士の妻女は、地に据えられた駕籠の、たれのかかげられた隙から顔を覗かせて、そう云ったのであった。

もう一挺の駕籠が地に据えられてあり、それには、女の良人らしい立派な武士が乗っていたが、

「こまったものだの。出来たら辛棒おし。もう直だから」

と、優しく云った。

「とても辛棒なりませぬ。痛んで痛んで、いまにも耳が千切れそうでございます」

と女は、武士の妻としては仇めきすぎて見える、細眉の、くくり頤の顔をしかめ、身悶えした。

「このまま沼田まで駕籠で揺られて参りましては、死にまする、死んでしまうでございましょう」

「莫迦な、耳ぐらいで。……とはいえそう痛んではのう」

と武士は、当惑したように云った。

ここは、群馬の須川在、猿ヶ京であった。

三国、大源太、仙ノ倉、万太郎の山々に四方を取り巻かれ、西川と赤谷川との合流が眼の下を流れている盆地であった。

文政二年三月下旬の、午後の陽が滑らかに照っていて、山々谷々の木々を水銀のように輝かせ、岩にあたって飛沫をあげている谿水を、幽かな虹で飾っていた。