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おんじん

恩人

豊島 与志雄

「帝国文学」1914(大正3)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,268 字 · 27 页

青空文庫

」

「君達はあれからずっと幸福なんだろうね。」

「ええ。そして私はまたある意味で叔父さんも幸福でしょうと……幸福であらるるようにと祈っていました。」

「幸福と云えば僕はやはり幸福だよ。誤った出立をしなかったと思うからね。」

「ええ。然し……。」と云って彼は口を噤んだ。今の叔父が出立を誤らなかったというのは。その先を考えて彼はじっと眼を伏せた。

「何だ?」

「いえ、私もそうですが、叔父さんもお弱いようですね。」

「そう、自分でそんな風に考える時もあるよ。」

それきり二人は黙ってしまった。彼は我知らず一人で儚いものの方へと思いを馳せた。人性の底を流るる情操が如何なる形式のものであろうと、それをいたわろうとする所に常に残る痛々しい感情などを。

叔父は暫く沈黙のうちに彼と並んで歩いていたが、急に足を止めた。

「どうかなすったのですか。」

「なに少し寒けがするようだから。」

「ああ、あまり長く外に居すぎたようですね。お身体に障るといけませんから。」

「いや、そんなでもないんだが……。でも今夜はお互にはっきりした話が出来て大変愉快だった。」

家に入って電気の光りで見ると、叔父の頬が堅く引きしまっているのに彼は気附いた。