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わがやのらくえん

我が家の楽園

久生 十蘭

「オール読物」1953(昭和28)年1月〜6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 90,195 字 · 175 页

青空文庫

三

石田氏は、計算尺と鉛筆を使ってコツコツやらなければ気のすまないほうで、問題を細かく分けて、いくつも小さな答をだすが、賢夫人のほうは、ゆっくりと時間をかけて、頭のなかに数表やグラフを貯めこみ、かれこれと睨みあわせ、充分に練りあげたうえ、大局から判断して、おもむろに、まちがいのない答をだす。読みの深い将棋指しのようなもので、いまおろす差し手は、三年も前に見透してしまった手だと思って差し支えない。

うちの賢夫人ほどの将棋差しが、家の変りかたを見たぐらいで、かんたんに指し手を変えるとは考えられない。この思いつきは、講和発効と同時に、個人の収用家屋が返還されるだろうという噂があったころ……ひょっとすると、はるかむかしに起案されたもので、バラックの貧乏暮らしが楽しくてたまらないなどと、心にもないことをいいながら、頭のなかで、ゆっくりと練りあげていたのだったらしい。

石田氏は、シュラーという表札を見ただけで、這々のていでひきさがったが、賢夫人たるものが、自分の家を他人がどんな使いかたをしているか、見すごすわけはないから、こんなことは、とっくのむかしに知っていたのだと見ていい。