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しんしょたいこうき
新書太閤記
吉川 英治
10 第十分冊
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 176,911 字 · 353 页
「いかがいたしたか、まだ戻りませぬ」
旗本の面々も、さっきからその菅沼藤蔵ひとりが遅いのを、案じていた。
戦機は、熟しきっている。いつ敵から火ぶたを切るか、味方がうごくか、寸前がわからない。
当然――敵前偵察に行った者たちも、つばめ返しに、帰って来ているのに、若い菅沼藤蔵ひとりが、行ったきりだった。
「捕われたか。打たれたか」
かれを惜しむ思いが人々の眉をかすめる。
藤蔵は、日ごろ小姓組に籍をおいていたが、小牧出陣以来、物見組へはいっていた。
先ごろ、また小牧の対峙中、かれは大胆にも、秀吉方の田中砦と二重堀の附近まで入りこんで、白馬に乗った敵将一名を、部下六人で生捕りにし、重大な敵の機密を、家康のものとしたりして、家康も、しかと覚えている若者だった。
「……おや、あれは藤蔵ではないか。そうだ、菅沼藤蔵だ。あんなことをしておる」
山鼻に立った諸将が指さしあって眺めている。家康も、遠くに、かれの影をみとめた。
かれは、騎馬だった。
その馬を、かれは降りている。
地点は、森武蔵勢の拠っている岐阜ヶ嶽の下――仏ヶ根池のなぎさである。馬に水を飼い、馬の脚を、水に浸けて冷やしているのだ。