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りょかんについて
旅館について
山本 周五郎
「朝日新聞 PR版」1965(昭和40)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,912 字 · 16 页
窓をあけると外は緑濃い樹立で、下からは黒谷川の急流のさわやかな音が聞えてくる。私は流れの音を聞き、樹立の緑を眺め、水割りを啜りながら待った。もうすっかり夜が明けているし、三人の同伴者がいつまでも寝ている筈はない。もうあらわれるだろう、と待っていたのである。けれどもかれらは杳として音も沙汰もない、咳をする声さえ聞えない。私はてっきりかれらが寝すごしているのだと思った。
「よし」と私は云った、「おれを一人おっぽりだして、気持よく朝寝坊をしようという、申し合せでもしたんだろう、そうさせておくと思ったらおあいにくさまだぞ」
私はグラスを置いて立ちあがり、廊下へ出ていった。うろ覚えの見当で廊下を曲ってゆくと、ここだと思い当る扉をみつけた。ノックをして扉をあけると、向うに次の扉があり、狭い踏み場にスリッパが二足揃えてあった。一足は私のはいているのと同じスリッパであるが、他の一足は桃色の、明らかに女性用のものとわかり、私はびっくりしてそこからとびだし、扉をそっと閉めた。男女二足のスリッパが揃えてあるとすれば、いずれよしあるカップルにちがいない。とんでもないところへとび込んだものだ、あぶなかったと思い、しんじつの意味でひや汗をかいた。