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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
この取次を機会に、捨吉はおばあさんや姉さんとお母さんとの間に交換される女同志の改まったような挨拶を避けて、玄関を歩いて見た。極く僅かな暇があっても、捨吉の足を引きとめるのはその玄関の片隅だ。もしお母さんが学問のことの解るような人であったら、何よりも捨吉が見せたいと思うものは、そこにあった。彼はそこにある自分の本箱の中に、湖十の編纂した芭蕉の一葉集、高輪の浅見先生に聞いてある古本屋から探し出して来た西行の選集抄、その他日頃愛読する和漢の書籍を蔵って置いた。それらは貧しい中から苦心して蒐めたもので、兄から貰った小使で買った其角の五元集、支考の俳諧十論などの古い和本も入れてある。郷里の方の祖母さんが亡くなって葬式に行った時に、父の遺した蔵書の中から見つけて来た黄山谷の詩集もある。捨吉はこうした和書や漢書の類を田辺の家の方に置き、洋書はおもに学校の寄宿舎の方に持って行って置いた。
「捨吉」
と奥座敷の方で呼ぶ小父さんの高い声が聞えた。
捨吉が復た小父さん達の中へ行って見た頃は、弘まで姉さんの側に倚りかかって、めずらしそうに捨吉のお母さんの方を見ていた。
「捨さん、何だねえ。