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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
捨吉はお婆さんと二人で姉さんの噂をして見た。銀座時代からの長い長い病床から身を起した姉さんが自分で自分をいたわるようにして、極く静かにこの家の内を歩いていた時の姿が、ついまだ昨日か一昨日かのように捨吉の眼にあった。
「彼女がまた弱らなけりゃ可いが、それを思って心配してやる。あたいの言うことなんぞ彼女が聞くもんかね。『そんな、おばあさんのようなことを言ったって、今はそんな愚図ッかしてる時じゃ有りませんよ』ッて――そう言われて見ると、それもそうだよ」
こうお婆さんは捨吉に話し聞かせて笑って、独り静止していられないかのように、起ったり坐ったりした。
捨吉はお婆さんの側を離れて玄関から茶の間の方へ行って見た。高輪の方で見て来た初夏らしい草木の色は復たその庭先へも帰って来ていた。遽かに寂とした家の内の空気は余計に捨吉の心をいらいらさせた。小父さんから姉さんから下女までも動いて行っている中で、黙ってそれを視ている訳には行かなかった。考えを纏めるために、彼は茶の間の縁先から庭へ下りた。学校を済まして帰って来て、復た箒を手にしながら書生としての勤めに服するのも愉快であった。