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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
捨吉はまだその番頭の名前も知らなかった。新参者らしくその側へ行って腰掛けて見た。
「捨さん」
とある日、呼ぶ声が起った。
港の方へ着いた船でもあるかして、男と女の旅らしい外国人が何か土産物でも尋ね顔に、店の小僧達に取りまかれていた。捨吉は夕飯を済ましかけたところであったが、呼ばれてその外国人の側へ行った。
「What sort of articles do you wish to have?」
覚束ない英語でこう尋ねて見た。
「I am looking for ……」
とばかりで発音のむずかしいその外国人の言うことは半分も捨吉には聞き取れなかった。
男の外国人は側に居る善どんに指さしして、蒔絵のある硯蓋を幾枚となく棚から卸させて見た。しまいに捨吉に向って値段を聞いた。
「Two yen ――」と捨吉は正札を見て言って、「at fixed price.」と附け添した。
「Too much.」
とか何とか女の外国人が連に私語くらしい。
「Have you not a similar article at a lower price?」
と今度は女の外国人の方が捨吉に向って尋ねたが、結局この人達はほんとに買う気も無いらしかった。