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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
勝子はもう捨吉の内にも外にも居るように成った。どうかすると、彼女の大きく見開いたような女らしい眼が彼の身に近く来る。時には姉さんらしい温みのある表情で。時にあまえる妹のような娘らしさで。
しかし捨吉は教師だ。そして勝子は生徒だ。それを思うと苦しかった。岡見の口吻で見ると、磯子の組の生徒の中には教師としての捨吉を見つめているような可成冷い鋭い眼が光っている。その眼が先ず捨吉の秘密を看破ったとある。そればかりではない、学校の職員の中には教員室である年若な生徒の手を握ったとかいうものがあって、それが年頃の生徒仲間に可成な評判として伝わっている。捨吉は人を教えるという勤めの辛さを味った。どうかして自分の熱い切ない情を勝子に伝えたいとは思っても、それを伝えようと思えば思うほど、余計に自分を制えてしまった。
彼は勝子の生立ちに就き、彼女の親達に就き、兄弟に就き、知りたいと思うかずかずのことを有っていた。彼女が麹町の学校の近くから通って来ることを伝え聞いたのみで、まだ彼は勝子の住む家をすら突留める事が出来なかった。手がかりとても少なかった。稀にそうした機会を捉え得るようなことがあっても、幼い心の彼はそれを掴まない前に最早自分の顔を紅めた。