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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
十二
何となく若いものだけの世界がそこへ出来かけて来た。芝公園、日本橋伝馬町、本船町、そこにも、ここにも、点いた燈火が捨吉に見えて来た。
十二
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。船の上に生涯をうかべ、馬の口をとらへて老をむかふるものは日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか片雲の風にさそはれて漂泊のおもひやまず。海浜にさすらひ、去年の秋江上の破屋に蜘蛛の古巣をはらひてやゝ年も暮れ、春立てる霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神のものにつきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず。股引の破れをつゞり、笠の緒付けかへて、三里に灸すゆるより松島の月先づ心にかゝりて、住める方は人に譲り杉風が別墅にうつる。
草の戸も
住替る代ぞ
雛の家。
面八句を庵の柱に懸置き、弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は有明にて光をさまれるものから、不二の峰かすかに見えて、上野谷中の花の梢またいつかはと心細し。むつまじきかぎりは宵よりつどひて、船に乗りて送る。千住といふところにて船をあがれば前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻の巷に離別の泪をそゝぐ。