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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
行春や
鳥啼き魚の
目は泪。
是を矢立の初めとして行道なほすゝまず。人々は途中に立ちならびて、後かげの見ゆる迄はと見送るなるべし。今年元禄二とせにや、奥羽長途の行脚只かりそめに思ひ立ちて呉天に白髪のうらみを重ぬといへども、耳にふれてまだ目に見ぬさかひ、もし生きて帰らば、と定めなき頼みの末をかけ、その日漸く早加といふ宿にたどり着きにけり。痩骨の肩にかゝれるもの先づ苦しむ。只、身すがらにと出立ち侍るを、紙子一衣は夜の防ぎ、浴かた、雨具、墨、筆のたぐひ、あるはさりがたきはなむけなどしたるは、さすがに打捨てがたく、路次の煩ひとなるこそわりなけれ」
「奥の細道」
牛込の下宿で捨吉はこの芭蕉の文章を開けた。昔の人の書き遺したものを読んで見て自分の若い心を励まそうとした。
声を出して読みつづけた。読めば読むほど、捨吉は精神の勇気をそそぎ入れらるるように感じた。彼は波のように踴り騒ぐ自分の胸を押えて、勝子を見るにも堪えられなくなって来た。それほどまで彼が沈黙を守りつづけたのも、愛することを粗末にしたくないと考えたからで。のみならず、黙って行き黙って帰る教師としての勤めを一層苦しく不安にしたものは、どうやら彼が学問の資本の尽きそうに成って来たことであった。