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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
岡見は捨吉のために、さしあたりの路用の金を用意して置いてくれたばかりでなく、西京には涼子等が姉のように頼む峰子が居る、旅のついでに訪ねて行け、不自由なことがあったら頼め、と言って西京宛の手紙までも用意して置いてくれた。知己のなさけは捨吉の身にしみた。彼はそれを痛切に感じ始めたほど、身は既に漂泊のさかいにあることを感じた。
「お峰さんの許へは私からも手紙を出して置きましょう」
と涼子が兄さんの方を見て優しく言葉を添えた。
「お峰さんか。まあ、お逢いになれば解りますが、こいつが又たなかなかの拗ね者なんです」
この岡見の調子は捨吉を微笑ませた。いくらか物を大袈裟に言うのが岡見の癖であったから。
「お涼さん、お前さんのお餞別も序にここへ出しちゃったら可いでしょう」と岡見は兄さんらしく言って、やがて捨吉の方を見て、「岸本さんに進げたいと言って、妹は袋を一つ縫いました」
岡見の側で見るにふさわしい涼子は、清之助よりも寧ろこの年長の兄さんの方に合うらしかった。彼女は捨吉のために見立てた茶色の切地で縫ったという旅行用の袋を取出して来て、それを岡見の前に置いた。時々岡見の爆発するような笑声が起ると、彼女はそれを楽しそうにして聞くばかりでなく、岡見と捨吉の間に出る同人の雑誌の話、連中の噂なぞにも熱心に耳を傾けた。