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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

一度なんか深川の方までも――」

とお婆さんが札を取上げながら、庭の方を眺めて、「でも、二人とも大きく成ったものだ」

「さあ、今度は誰の番です」と主人が笑いながら言出した。

「あたいだ」とお婆さんは手に持った札とそこに置並べてあるのとを見比べた。

「弘は母さんの傍へお出」

と細君が呼んだので、捨吉は背中に乗せていた弘を縁側のところへ行って下した。弘はまだ子供らしい眼付をして母親の側に坐った。そして種々な模様のついた花骨牌を見比べていた。

「桐と出ろ」と主人は積重ねてある札を捲って打ち下した。「おやおや、雨坊主だ」

細君の番に廻って行った。「どうも御気の毒さま。菅原が出来ました」と細君は揃いの札を並べて見せた。それを見た主人は額に手を宛てて笑った。

間もなく捨吉は庭下駄を脱ぎ捨てて勝手口に近い井戸へ水汲みに行った。まだ水道というものは無い頃だった。素足に尻端折で手桶を提げて表門の内にある木戸から茶の間の横を通り、平らな庭石のあるところへ出た。庭の垣根には長春が燃えるように紅い色の花を垂れている。捨吉が水を打つ度に、奥座敷に居る人達は皆庭の方へ眼を移した。葉蘭なぞはバラバラ音がした。