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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
「ゆうぐれしずかに
いのりせんとて、
世のわずらいより
しばしのがる――」
讃美歌の声が奥座敷の二階から聞えて来る。玉木さん達は夫婦だけで小さな感謝会でも開いたらしい。その讃美歌の合唱は最初は二人で口吟むように静かで、世を忍ぶ心やりとも貧しさを忘れる感謝とも聞えたが、そのうちに階下へも聞えよがしの高調子に成った。玉木さんの男の声は小母さんの女の声に打消されて、捨吉が歩いていた庭の青桐のところへ響けて来た。
玉木さんの小母さんのすることは捨吉をハラハラさせた。捨吉は異様な、矛盾した感じに打たれて、青桐の下から庭の隅の方の楓や楠の葉の間へ行って隠れた。
「兄さん」
と呼んで、こういう時に捨吉の姿を見つけては飛んで来るのが弘だ。どうかすると、弘は隣の家の同い年齢ぐらいな遊友達の娘の手を引いて来て、互に髪を振ったり、腰に着けた巾着の鈴を鳴らしたりして、わっしょいわっしょいと捨吉の見ている前を通過ぎた。こうした幼い友達同志をすら、玉木さんの小母さんは黙って遊ばせては置かなかった。何か教訓を与えようとした。「弘さん達は二階で何をしていたの」なぞと聞いた。