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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

こういう芝居町に近い空気の中にすくなくも基督教の信徒を見つけたからであった。彼はまだ身に覚えのないほど自ら憐むということをも覚えて来た。

八月も末になって、捨吉は例のように書生としての勤めを励んでいた。せっせと庭を掃いているとめずらしく友達の菅が訪ねて来た。

「よく来てくれたね」

と捨吉は田辺の家の方で友達を迎えたことを嬉しく思った。

「岸本君、君は今いそがしいんじゃないか」

と菅が言ったが、捨吉はそれを打消して、庭から茶の間の方へ廻って一緒に下駄穿のまま腰掛けた。

「捨さん、何だねえ、お友達をお上げ申すが可いじゃないか」

とお婆さんもそこへ顔を出して、捨吉の友達という青年をめずらしそうに見た。

「ここで沢山です」と菅はお婆さんの方を見て言った。

「君、上りたまえな」

と捨吉は友達にすすめて、自分も一緒に茶の間へ上った。こういう時にはお婆さんはよく気をつけてくれた。奥の部屋の方からわざわざ茶を入れたりお煎餅なぞを添えたりしてそれを持って来て勧めてくれた。

「菅君、これはまだ君に見せなかったッけか」

と捨吉が玄関の方から取出して来て友達の前に置いたは、青いクロオス表紙のウォルズウォースの詩集だ。