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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
学校へ入った当座、一年半か二年ばかりの間、捨吉は実に浮々と楽しい月日を送った。血気壮んな人達の中へ来て見ると、誰もそう注意深く彼の行動を監督するものは無かった。まるで籠から飛出した小鳥のように好き勝手に振舞うことが出来た。高い枝からでも眺めたようにこの広々とした世界を眺めた時は、何事も自分の為たいと思うことで為て出来ないことは無いように見えた。学窓には、東京ばかりでなく地方からの良家の子弟も多勢集って来ていて、互に学生らしい流行を競い合った。柔い黒羅紗の外套の色沢、聞き惚れるような軟やかな編上げの靴の音なぞはいかに彼の好奇心をそそったろう。何時の間にか彼も良家の子弟の風俗を学んだ。彼は自分の好みによって造った軽い帽子を冠り、半ズボンを穿き、長い毛糸の靴下を見せ、輝いた顔付の青年等と連立って多勢娘達の集る文学会に招かれて行き、プログラムを開ける音がそこにもここにも耳に快く聞えるところに腰掛けて、若い女学生達の口唇から英語の暗誦や唱歌を聞いた時には、殆んど何もかも忘れていた。楽しい幸福は到るところに彼を待っているような気がした。彼は若い男や女の交際する場所、集会、教会の長老の家庭なぞに出入し、自分の心を仕合にするような可憐な相手を探し求めた。