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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

「おい、子供たち」と六郎兵衛は笑い声のしたほうへ呼びかけた、「誰かいって駕籠を呼んで来てくれ、駄賃をやるぞ」

彼は袂から銭を幾枚か取り出し、手の平へのせて差出した。すると脇のほうで、銭なんかおよしなさい、と云う男の声がした。

「駕籠は呼んで来てあげます、子供に銭なんかいけません、どうかしまっておくんなさい」

六郎兵衛はそっちへ向いた、「銭がどうしたと、きさまはなに者だ」

「そんなに凄みなさんな」とその声が答えた、「躯の不自由な者は不自由なようにおとなしくするもんだ、やい平公、この人を四つ角まで送って、辻駕籠に乗せてやんな」

六郎兵衛は額をあげた。かさねがさねの屈辱で、吐きけのするほど激しい怒りに駆られたが、それは怒りというよりも、すでに一種の快感に近いものになって、もっと徹底的に自分がいためつけられるのを見てやりたい、という衝動さえ感じ始めるのであった。

「芝だ」辻駕籠へ乗ると、六郎兵衛はそう命じた、「芝の宇田川町だ、その辺へいったら酒の飲めるところへ着けてくれ」

駕籠がおろされるまで、彼は冷静に、そしていきり立って坐っていた。冷静に自分を観察し、過去を回想し、そうして今日、酒井邸から始まったそれまでの出来事を、仔細に思い返して、自分をふくめたあらゆるものにいきり立ち、駕籠に揺られながら微笑していた。