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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
04 第四部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页
そのあいだに亀谷が、廊下に控えている(その箱を持って来た)若侍を呼びいれた。おそらく毒見をさせるためだろう、しかし大和守はそれを制して、自分も飲んでみようと云った。
「おれに毒を盛るような者もあるまい」と大和守は杯を取りながら云った、「また、葡萄牙の美酒をあたら毒見役などに飲まれては惜しい、さあ注いでくれ」
葡萄酒そのものはさして珍らしくはなかったが、その酒のやわらかくこなれた甘味と、こもったような香りとは、大和守の舌を陶酔させたようであった。
「浪人の身で」と大和守は云った、「かように高価なものが自由になるとは、よほど内福のうえによき手蔓があることだろうな」
「おそれいります、内福どころか家政は火の車、いまにも所帯じまいをしかねないありさまでございます」
「所帯じまい、――」
「もちろん御存じはございますまい、これは下世話の申す言葉で、家計がゆき詰まり家主に追いたてられまして、一家親子がちりぢりに駆け落ち夜逃げなどをすることでこざいます」
「しかも、かようなものを土産にくれるというのか」
「おそれながら大和守さまは、当代十善人のお一人と世評にかくれもございません」