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ぶしをえびすということのこう

武士を夷ということの考

喜田 貞吉

「歴史地理 第二六巻第四号、第六号」1915(大正4)年10月、12月、「歴史地理 第二七巻第一号」1916(大正5)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,305 字 · 34 页

青空文庫

中においてこれを述べたり。このことにつきては、すでに異説の発表せられたるものあり。『国学院雑誌』第二十巻第三号所載、斎藤美澄翁の駁文のごときこれなり。翁の所説は、同じくこれを佐伯部というが中にも、もと二種ありて、日本武尊の捕虜の後なる佐伯部は蝦夷の族なれども、禁門守備の佐伯部はその首帥なる佐伯宿禰と同じく、天押日命の後にして、天神の族なるべしと言わるるなり。しかも余輩不敏、そのしかるを暁る能わず、ただちに同誌翌月号においてこれが答弁を掲載せしが、今に至りてなおその再諭を得る能わず。したがって余は今なおこれをもって同じく蝦夷の族なりと信ずるなり。その管見の主意は、「夷俘・俘囚の考」中の「蝦夷と佐伯部」、および『国学院雑誌』第二十巻第四号所載「佐伯部は夷人なりとの事に就きて斎藤翁に答ふ」の文中につまびらかなれば今再説せず。

要するに蝦夷をもって武人とすることは、少くも佐伯部隊編成の時、すなわち雄略朝以来すでに存在するなり。しかもこはただ佐伯宿禰に属して、禁門の守備に任ずるもののみのことなり。いわゆる佐伯部なるものはなお他にも多く存す。『日本紀』には、その編纂当時、すなわち奈良朝初期において、播磨・安芸・阿波・讃岐・伊予の五国に、武尊捕虜の後と伝えられたる佐伯部の存在せしことを記するなり。